世の中にうまい話は「ある」と思っている人ほど、ズルイ人に騙されてしまいます。
それは当然です。世の中にうまい話など「ない」と思っていれば、最初から話自体に乗らないわけですから。
対人関係で失敗した時でも、まず、「自分のほうに“間違った思い込み”はなかったか?」と振り返ってみることが大切です。
“間違った思い込み”があると、例えば女性なら、結婚詐欺に遭いやすくなったりしますし、親友に裏切られることも多くなったりします。
というわけで、ここでは、
「結婚詐欺に遭う人」と「親友に裏切られる人」との共通項
について解説します。
“自己執着”が強いと、人を正しくジャッジできない
冒頭のお話を、
「うまい話に乗る」=「玉の輿に乗る」
で考えてみましょう。
という願望がある人は、「この人、玉の輿かも!」とか、「この玉の輿に乗れたらいいなぁ!」という思いはもちろん、
「この人が玉の輿だったらいいなぁ!」
いう強い思い込みが生じ、人を見る目が曇ります。
そしてその結果、結婚詐欺に遭いやすくなってしまいます。
逆に、
と思っている人は、ちゃんと人をジャッジすることができるので、あまり詐欺に遭いません。
また、結婚詐欺とは違いますが、
例えば、
というのは、女性にとっては、わりと普通の願望ですが、このような願望が、強過ぎると、逆に、“あまり家庭的ではない男性”と結婚してしまうことが、往々にしてあります。
なぜか?
それは、自分の願望にクローズアップし過ぎている人は、相手に注意がいかず、相手ときちんとしたコミュニケーションが取れないからです。
本来、相手が自分の意思に沿うような家庭的な相手であるかどうかは、通常の付き合いの中で気付くはず。
それでも気付かなかったのは、自分を売り込むことに必死だったからです。
自分を売り込む人は、愛するよりも、愛されることを求めています。
言ってしまえば、愛する能力がないということです……。
けっして誤解をして欲しくないのですが、
玉の輿に乗ろうとする人や、早く結婚したいと思う人には、人を愛する能力がない、と言っているのではありません。
あくまでも、ここで言いたいのは、
ということです。
「親友の数」と「裏切られる回数」は同じ?!
「思い込み」や「自己執着」が不幸な結果を招くという、もうひとつの例が、
親友に裏切られる
というケースです。
これも構造としては、上で紹介した、玉の輿に乗ろうとする人が結婚詐欺に遭うのと、非常に似ています。
例えば、親友に彼氏を奪われ、辛くて辛くてしょうがないという人がいるとします。
このような人に、
と聞くと、
と答えます。
さらにこの人に、
と聞くと、だいたいの場合、
と答えます。
実は、
「親友」という言葉を乱発する人ほど、
「裏切られた」という言葉も乱発するという法則があります。
裏を返せば、
最初から「親友」と思っていなければ、
「裏切られた」とも思わない
わけです。
要するに、
親友だと思っていた人は、親友でも何でもなく、ただ本人がそう思いたかったから、思い込んでいただけ。
「この人が親友であって欲しい!」
という願望だけが突っ走って、自分を売り込むこと(嫌われないこと)だけに必死になり、まともなコミュニケーションなど、実は少しも取れていなかったわけです。
したがって、
やはりこれも、玉の輿に乗ろうとする人が結婚詐欺に遭うのと同じで、
裏切られたわけでも何でもなく、
本人の“自己執着”が強くて、
人を正しくジャッジできていなかった
というだけのことです。
余計な心の囚われを解放し、「無」の心になろう!
アメリカの心理学者 デヴィッド・シーベリーの言葉に、
というものがあります。
これは、「自分の注意がどこに向いているかを注意しなさい」という意味です。
・相手を自分にとって都合よく見ていないか?
・他の人が見たら、自分と違うように見えやしないだろうか?
という客観的な視点を持つようにすれば、いつも物事を、そして他人を、正しくジャッジすることができるようになります。
“自己執着”とは、簡単に言えば、
「自分の考えがすべてだ!」
と思い込むことです。
でもそこには、「先入観」や「偏見」や「願望」が多分に含まれているものです。
それさえ捨てて、客観的な視点を持てば、つまり、「無」の心になれば、
うまい話に引っかかることも、
結婚詐欺に遭うことも、
親友に裏切られることも、
ありません。