「恋愛するのが怖い」、「結婚するのが怖い」、「自分に恋愛なんて無理!」という思いの裏には、“他人と親密になることへの恐れ”があります。
ここでは、
他人と親密になることへの恐れ
について解説します。
目次
「恋愛無理かも」=他人との距離を多く取りたい人
自分では気が付いてないこともありますが、誰にでも「自分の心地よい領域」というのがあります。
「心地よい領域」とは、気持ちのよい状態でいるために、他人との間に置く必要のある精神的なスペースのことです。
他人があまりに近くに来過ぎて、自分のスペースに侵入してきたり、あるいは自分のスペース以上に遠ざかってしまうと、私たちはこの「心地よい領域」を無意識に調整します。
つまり、近づき過ぎていると離れようとし、距離がありすぎると接近しようとするのです。
どのくらいのスペースが必要かは、人それぞれ違います。
距離があるよりは、近いほうがいいように思いますが、それを恐れる人も多くいます 。
例えば、「近い距離を恐れる人」にとって、恐怖の瞬間が訪れるのは、
- 恋人の家に引っ越した時
- 婚約した時
- 結婚した時
- 今まで経験しなかったような深い絆が結ばれた時
- 妊娠や子供が誕生した時
などです。
とは言え、他人との近い距離を恐れている人だから、ただちに、恋愛が無理、結婚が無理、というわけでもないのです。
2人が必要としているスペースが大体一致していれば、何とか一緒に暮らしていけるものです。
その場合には、
- それぞれが興味があることをする
- お互いの感情について話し合うのは避ける
- 話題は日常的なことや一般論に絞る
- 余暇を楽しむ時も、なるべく2人きりでは出かけない(いっそ分かれて暮らす)
といったことに気を配るとよいでしょう。
お互いに“孤独”は感じるかも知れませんが、近い距離を恐れていても、このように恋愛や結婚は、一応可能です。
もちろん、こういうのが「真のコミュニケーション」かというと疑問符がつくのですが、実際このような夫婦はたくさんいます。
近づくことが怖い6つの原因
このような話を聞くと、
と指摘したくなる人もいるでしょう。
でも、このような考え方もできませんか?
「距離を置きたい」と思っているために、無意識のうちに“間違った相手”を選んでいるのだと。
そういう人が、“本当に好きな人”と結婚すると、もっと悲惨な結果になることは目に見えています。
近づくことが怖い原因については、「この人はこれ!」と断定することは難しいのですが、皆それぞれ、以下に挙げる6つのようなことが複雑に絡まり合っているようです。
① 誰にも依存したくない!
親密な関係になると、愛する相手にだんだん依存していくことに悩む人が、たくさんいます。
愛し合っているのなら、ある程度、依存関係は当たり前のことなのですが、人に頼ることを“罪悪”と感じてしまう人がいるのです。
自分が他人の支配下に置かれているとかコントロールされているとか、自立心を失う危険をはらんでいる、と思ってしまうのがその原因です。
結果、2人は距離を求めて、離れようとします。
また、深く結ばれることを息苦しく感じてしまう人もいます。
パートナーを愛してはいるのですが、自由を奪われるような気もするため、精神的な部分で相手との距離を保とうとするのです。
誰にとっても、依存心は、幼児体験と関係があります。
赤ん坊の頃は、誰にも完全に母親の支配下にあり、すべてを母親に頼っています。
大人になってから、誰かと親密な関係になると、幼児期の無力感を思い出すのです。
特に、男性の場合、あらゆる女性を母親と重ねて見てしまい、無意識のうちにパートナーである女性が、実際以上に大きな力を持っていると感じてしまいます。
その結果、女性を恐れたり避けたり、距離を置いたりするようになるのです。
② 親しい人間関係というものがイメージできない!
幼い頃の経験が影響し、パートナーとの間に距離を置かざるを得ない人もいます。
幼い頃、両親のケンカが絶えなかったり、あるいは、“仮面夫婦”だったりすると、本人としては、男女が深く結びつくとはいったいどういうことなのかと、想像ができないのです。
そういった未知には、恐怖がつきまといます。
また、「両親の仲」ではなく、本人も含めた「親子関係」が疎遠だったことで、人と親しい関係を結べないケースもあります。
③ 他人が信用できない!
人と信頼関係を築くことができず、その結果、深い絆を得られない人がいます。
これもやはり、幼い頃に不幸な体験をしている場合によく見られることです。
人を信頼するという能力は、生後1年の間に、母親が子どもを昼夜を問わず世話することによって養われます。
もし何かの理由で、母親が子供に会えなかったり、あるいは、赤ん坊をかまったり無視したりを繰り返すと、子どもは大人になってから、人と信頼関係を築くことができなくなるのです。
また、幼い頃に人間不信を目の当たりにした結果、信頼できなくなることもあります。
例えば、父親が母親を信じることができず、コントロールされることを恐れていた、あるいは、「男は信用できない生き物だ」などと考えている母親に育てられたりすると、大きくなってから、あなたも同じようになる可能性は高いでしょう。
④ 自己を見失ってしまいそうなのが怖い!
パートナーに“自己(アイデンティティー)”を乗っ取られまいとする人は、自分の内面を隠したり、本当の気持ちを表に出さなかったりすることが、よくあります。
そういった人の中には、セックスという体を結合させパートナーと1つになる行為自体に、自己を失くしてしまうような恐怖心を抱く人もいます。
(我を忘れる状態に陥るのが怖くて、オーガズムに達することができない人という人もいます。)
⑤いつか捨てられて傷つきたくない!
無意識のうちに、愛する人から捨てられるのでは?という恐怖と共に生きている人もいます。
こういう人は、不安と付き合うために一種の予防線を張ることがよくあります。
つまり、別れても傷つかないように初めから深く関わらないのです。
危ないなと思うと、先手を打って自分から別れるというのも方法の1つです。
このようなタイプは、同時に複数の人と付き合うことで精神的な安定を図ることもあります。
捨てられることを恐れる人は、他人と充分な距離を置くことで安心感を得るのです。
⑥ 自分の欠点を見せたくない!
自分が欠点だらけでそれを隠したいと思っている人も、他人と深い関係になることを恐れます。
親しく付き合えば、パートナーに本物のあなたを見せることになり、短所も醜い部分もすべて知られてしまうからです。
精神的なことも、肉体的なことも、相手に近づかなければ、うまく隠せるだろうと思っているのです。
互いに信じ合える真のコミュニケーションを!
――いかがだったでしょうか?
いずれにしても、心から理解しあえる関係になるためには、コミュニケーションが不可欠です。
もし、パートナーとの関係を、本当の意味で深めたいのなら、2人の話題も、友人や近所のうわさ話、芸能人のゴシップ、子供のこと、家のこと、世界情勢など以外に、不安、希望、秘密、夢、弱点、感想、喜び、怒り、落胆など、“自分の感情”についても話さなくてはいけません。
「真のコミュニケーション」とは、「信じ合うこと」です。
まずは、あなたのほうから、パートナーのことを信じ、自分の弱いところを進んでさらけ出してみましょう。
そして相手が同じように、自身の気持ちや、弱いところも話してきたら、それを受け入れましょう。
あなたを信じて打ち明けてくれたのですから、けっして批判してはいけません。
互いが互いをわざと傷つけることは絶対にない、というふうに信じ合えたら、どんなことでも話せるようになるはずです。
そこから、真のコミュニケーションが生まれていきます。
冒頭で述べたように、真のコミュニケーションが取れていなくても恋愛や結婚はできますし、そのようなカップルもたくさんいます。
ですが何も、真のコミュニケーションとは2人が“一心同体”になることではありません。
“一個の人格を持った一人の人間”として尊重することです。
やみくもに、真のコミュニケーションから逃げ回ることのないようにしましょう。
……最後に、『星の王子様』で有名な作家、サン・テグジュペリの言葉を紹介します。
愛とは、お互いを見つめあうことではなく、共に同じ方向を見つめることである。
あなたは、そのままでいいのです。
過去は変えられません。
2人の関係性の鍵を持っているのは、お互いに50:50です。
あなたが変われば相手も変わり、やがて世界が変わって見えてくるでしょう。