人間が皆、自分の欲望のままに生きていたら、この世の中は成立しません。
それぞれが「理性」と「思いやりの心」を持ち寄っているからこそ、成立しています。
しかし、“いい人”であろうとするあまり、自分を律し過ぎてしまうと、今度は、なかなか良縁に恵まれません。
というわけで、ここでは、
いい人なのになぜか独身でいる人の特徴と、その対処法
について解説します。
いい人になろうとし過ぎて逆に孤独に…
ほとんどの人が子供の頃、親や先生から、
といった“社会道徳”を教わりながら、育ちます。
これはもちろん間違っていません。
人の嫌がることをしたり、親切じゃなかったり、悪口ばかり言っていると、実際、人から嫌われます。
逆に、こうした社会道徳をきっちり守っている人は、
と周りから評価されます。
すると、その人自身も、
となっていき、終始、かっこつけざるを得なくなっていくでしょう。
でも、人には、ガス抜きが必要です。
それが誰しも分かっているからこそ、いつも生真面目で、いつも正論で、いつもかっこいい人には、人間味を感じず、かえって魅力を感じなくなる
ということもあります。
“いい人なのにずっと独身でいる人”は、まさにこれです。
このような人は、
と思い込み過ぎています。
だから、社会道徳はもちろんのこと、
いつも、
- 辛くても明るく振る舞おう!
- 人の助けを借りず、自分の力だけで幸せになろう!
- 人に「短所」や「弱み」を見せないようにしよう!
とします。
これこそが、愛のチャンスを遠ざけてしまう原因です。
つまり、皆の愛を求めて、嫌われないように、かっこつけ過ぎた結果、逆に、孤独になってしまっているわけです……。
「パートナーがいなくても幸せ」は本当か?
というのは、もちろん、殊勝な心がけです。
ですが、あまりに自分を律し過ぎていると、
と考えるようになり、いつしか、
とまで言い切るようになります。
この「満足感」が本物かどうかは、よく考えてみる必要があるでしょう。
自分の「短所」や「弱み」から目をそらし、「負の感情」を抑圧することに慣れてしまうと、それらに関する悩みからは、一見逃れられたように見えますが、いつまで経っても心が癒されることはありません。
苦痛からは解放されても、その分、“心のドア”を閉ざすことになるからです。
ずっと独身でいる、いわゆる“いい人”は、
私は一人でも大丈夫!
十分幸せだし、ちゃんとやっていけてるから!
と言っているうちに、自分でも本当にそう思い込んでしまいがちですが、それはまったくの“幻想”と言えるでしょう。
人生にまつわる、怒り、寂しさ、恐れ、悲しみを感じないふりをし、独善的に人生を理想化しているのです……。
同時に、これは、“逃げ”であるとも言えます。
人の幸せは、人のぬくもりの感じられるところにあります。
(けっしてファンタジーの世界にはありません。)
“いい人の仮面”は、そんなぬくもりすらも、自らシャットアウトしてしまっていることに気付くべきでしょう。
心を開くとは、かっこ悪いところを見せるということ!
さて、ここからは、いよいよ、いい人になろうとし過ぎて愛を遠ざけていることへの対処法です。
まず、大前提として、覚えておきたいのは、男も、女も、「この人と結婚しよう」と思うのは、相手のダメなところが見えた時だということです。
単なる恋愛だとそうではないかも知れませんが、結婚となると、
と思って、ホッとした時に、
という安心感を持ちます。
ですから、恋愛をしていて、力が入り過ぎていると感じた場合は、何かを選ぶ際、必ず「かっこ悪いほう」を選ぶようにするといいでしょう。
「デートは流行スポットに行かなくてはいけない……」
「食事はオシャレなところではなくてはいけない……」
「服装はいつもビシッときまっていなくてはいけない……」
当然、どれも、力が入り過ぎています。
かっこつけ過ぎています。
喋る話題だってそうです。
いつも“聖人君子”のように、機嫌がよくて、弱音を吐かず、人の悪口は一切言わない……そんなのは、かっこつけ過ぎています。
「かっこいいこと」も「いい人であること」も、もちろん、いいことです。
しかし、人間、それだけだと、尊敬はされても、親しみが湧きませんし、ましてや、ずっと一緒にいたいなどとは思われません。
どうしても、心を開いていないように感じるからです。
炎上覚悟で言いたい放題言っている芸能人などに、人気が集まったりするのも、そんな「いい人であろうとし過ぎること」に疲れた人の支持が集まっているということでしょう。
ですから、
「心を開く」=「好きな異性に、自分のかっこ悪いところを見せることをいとわない精神」
と考え、どんどん力を抜いていくようにしましょう。
……もちろん、最初からカッコ悪いところをどんどん見せていくのではなく、タイミングは大事です。
ですが、きちんとタイミングも測った上で見せて、もし関係が崩れてしまったなら、
ということで、それはそれで、あきらめもつきやすいでしょう。