人間の生きる目的は、死ぬまで成長し続けることですから、「何かに成功すること」も「何かに失敗すること」も、大局的に見れば、どちらもいいことです。
それは、恋愛だって同じ。
交際することも別れることも、いいこと。
結婚することも離婚することも、いいことです。
というわけで、ここでは、
「別れること」による成長
について解説します。
あなたの失恋は何も失敗していない!
電球を発明したエジソンは、インタビュアーから、
と聞かれ、
私は失敗をしたのではない。
“うまくいかない方法”を1万通り発見しただけだ。
と答えたそうです。
「エジソンという人物が電球を発明できるかどうか?」という観点で見れば、もちろん、電球を発明して初めて“成功”なわけですが、
別に、エジソン自身は「電球を発明する使命」を持って生まれてきたわけではありません。
好きな発明に取り組み、それを通して、成長をしながら、その過程の中で、たまたま電球が生まれたに過ぎません。
確かに、エジソンは、何も失敗していないのです。
恋愛だって、それと同じです。
誰かの人生を、「◯◯さんと結婚して、生涯幸せに暮らしましたとさ」と、1行にまとめることもできなくはないですが、どんなに平坦な人生に見える人でも、それなりに紆余曲折あるものです。
- 恋愛経験は豊富だけど、なかなか結婚には至らない人
- 恋愛経験は少ないけど、豊かな結婚生活を送っている人
- 結婚はしているけど、ストレス過多な毎日を送る人
- 結婚はしていないけど、ストレスフリーな毎日を送る人
……この中のどれが一番幸せかなんて、決めることはできませんし、ましてや、どれが“成功”かなんて決められるはずがありません。
特に恋愛に関しては、
『結婚』=いいこと⭕️
『別れること(失恋)』=よくないこと❌
と捉えられがちです。
しかし、失恋して2人が人間として成長できたなら、それは“成功”です。
未成熟な恋をして、やがて成熟した恋ができる大人になっていく……これこそが“成長”であり、人間が生きる目的です。
とは言え、『毎回同じパターンで別れてしまう人』は、成長しているとは言い難いです。
そのような人は、いつも人がそばにいないとダメな「恋愛依存症」の可能性がありますので、そちらを治すことが先決かも知れません。
別れるならすっきり別れよう!
「失恋しても、そこには成長がある」と考えるならば、別れる時は、しっかりと別れなくてはいけません。
自分から別れを告げておいて、
と言う人がいますが、これは自分の恋を「絵になる恋」にしたいだけで、極めて身勝手な姿勢と言えます。
第一、それによって“相手が傷つく”ことを考えていないのです。
こんなことを言えば、相手の頭はこのように働きます。↓
彼女と自分の恋は、完全に否定されるものではなかったのか……。
じゃあ、どこに問題があったのだろう?
彼女から別れを告げてきたと言うことは、やっぱり、こっちに問題があったのか……。
じゃあ、どうすればよかったのだろう?
何か、また会いたような気がしてきたな……。
……というか、これじゃ全然新たな一歩が踏み出せねぇじゃねぇか!!💢
くっそー!最後に何言ってくれてんだよ!!💢💢💢
とこのように、相手を傷つけるだけでなく、下手をすれば、相手は気持ちが変な方向にねじくれて、“ストーカー”へと変貌してしまいかねません。
ですから、別れる時は、もう未練がないことをしっかり伝えてこそ、相手はまた新たに自分の人生を歩いていくことができるということを覚えておいてください。
(もちろん、「これからもいい友達でいましょう」なんてありえません。)
別れるならすっきりと別れる。
これが相手への誠実さであり、2人がお互いに成長するために必要なことです。
未成熟なままの男女には、成熟した愛を実現することはできません。
ですから、往々にして、若い時の恋愛というのは、無責任なものなのです……。(女も男も。)
「依存心」こそ恋愛のトラブルのもと!
別れをきちんと“成長の糧”にするためには、未成熟な2人の恋愛に、どんなトラブルが起きたのか?についても、しっかりと把握しておく必要があるでしょう。
大きく分けて、恋愛のトラブルは以下の3種類です。
- 男と女であるがゆえのトラブル(浮気)
- 双方が何かしらの心理的問題を抱えているがゆえのトラブル
- ①と②が重なったトラブル
2人の間に起きたトラブルが、どちらかの単なる浮気心(①)であれば、別れるか、やり直すかだけの話です。
これは未成熟でなくても起こり得ます。
問題なのは、お互いの未解決な心理的問題が絡んだトラブル(②と③)です。
ここでいう心理的問題とは、先ほど「恋愛依存症」という言葉を先に出しましたが、要は「依存心が強い」という問題です。
未成熟で、依存心が強いと、
と恋の情熱に浸ることはできますが、そこから一歩踏み込んで、「本当の親密さ」(本当の意味での運命共同体になるための覚悟)を築くことができません。
なぜなら、依存心が強いと、
- ただ1人になりたくないだけなのか?
- 2人で永続する豊かな関係を築きたいのか?
が、自分自身で判別がつかないからです。
“性格の不一致”で片付けてはダメ!
友人などから「なぜ、別れたの?」と聞かれ、
と答えるような場面は、よくあると思いますが、本質的には、男女が“性格の不一致”で別れるはずがありません。
だいたい、性格が、“完全に一致する異性”と一緒にいたって、何の刺激も得られません。(何も面白くありません。)
というより、そもそも、“自分とほとんど性格や考え方の変わらない人”を求めるのなら、はじめから異性を求める必要なんかないはず。
別れを“性格の不一致”のせいにするのは、当事者の「心理的未成熟さ」を隠すための単なる口実です。
「なぜ別れたの?」と聞かれて、ただその場を乗り切るために、「性格が合わなかった」と返すのは構いませんが、本心からそう思っているとするならば、それは、せっかくの“別れという成長のチャンス”をふいにしてしまいかねません……。
フった側にせよ、フラれた側にせよ、確かに、別れとは辛いものです。
また、人はいったん傷つくと余計に傷つきやすくなるものです。
しかし、成長し、本当の幸せを掴みたいなら、失恋して、大いに悩み、そして耐えることです。
その悩みが大きいほど、人生の“価値”と“意味”は、大きくなります……。