「孤独と友達にならないと、芸術家にはなれないよ」
これは、1986年に亡くなった絵本作家・東君平さんの言葉。
ちなみに、私が最も敬愛している人物である。
みなさんは、『孤独』という言葉に対して、どんなイメージを持っているだろうか?
辛くて寂しいもの、できれば避けたいもの、といった感じだろうか。
私は常々、この『孤独』という言葉に対するイメージが、ガラリと変わってしまえばいいのに、と思っている。
なぜなら、『孤独』とは、“普通”だからだ。
……そう、普通。
自分という個性および肉体をまとい、ひとりでこの世に誕生してきて、そして、この世を去る時もひとり……。
普通だし、“当たり前”なのだから、そういったことは、なるべくいつも心に置いておいたほうがいい。
いずれ死なない人はいないし、孤独でない人はいないのだ。
ここから『孤独』に対するイメージがガラッと変わるようなお話をしたい。
読むときっとひとりの時間が好きになり、人生の“肩の荷”がちょっと軽くなるはずだ。
目次
孤独と孤立の違い
まずは、むやみに孤独を恐れないためにも、『孤独』と『孤立』の違いをはっきりと抑えておきたい。
両者をかんたんに説明すると、以下のようになる。
- 孤独 = 精神的にも物理的にも、ひとりであること。
- 孤立 = 物理的にはひとりでないが、精神的にひとりであること。
人っ子ひとりいない山の中に、自分ひとりでいたら、それは『孤独』である。
周りに人が大勢いる中で、誰からの支援も得られなければ、それは『孤立』である。
さて、どちらがいいだろうか?
ここから、さらにもう一段、踏み込んでみよう。
『孤独』と『孤立』、自主的に選ぶことができるのはどちらだろうか?
当然、どちらも、ひとりでいることを自覚できているわけだから、他者への意識も同時に持っている。
他者との距離を隔てているからこそ、「孤独」や「孤立」といった状態があるわけだ。
しかし、以下が大きな違い。
- 孤独 = その状態を選んだ自分の“意志”がある。
- 孤立 = そこには自分の“意志”の反映はない。
つまり、『孤独』は、自分で積極的に選ぶことができるのだ。
当然、ひとりでいれば、「寂しい」という感情もあるだろう。
だが、それだけではない。
「寂しさ」と同時に、「得られるもの」もある。
そう、「寂しさ」と真逆の「楽しさ」ですらも感じることのできるのが『孤独』なのだ。
『孤立』して「楽しさ」を感じる人はいないだろう……。
人間はひとりでいるときにこそ成長する
人間の本能には、「とにかく集団でいようとする脅迫観念」が取り付いている。
誰もが、みなから離れていると利己的であるかのように感じてしまうため、お互いに集団に引き込もうとする。
ひとりでいることを恐れるあまり、集団の中に自らを埋没させようとしてしまう。
したがって、あえてひとりになることを自ら選ぼうとすることは、人間の本能に逆らうこととになる。
それほど人間とは、徹底的に「社会化された動物」である。
しかしながら、人間は『孤独』の中に身を置いて、自分の内側で何かが起こることを許さなければ、必ず精神的に行き詰ってしまう。
なぜか?
外界からの刺激にばかり身をさらし続けていると、「創造性」や「想像力」を発揮する機会がやってこないからだ。
実はこの「創造性」や「想像力」こそが、人間の成長とも直結する大事な要素。
つまり、人間の成長には『孤独』が必要不可欠であるということだ。
アインシュタインの発明にも孤独が必要だった
冒頭に挙げた東君平さん以外にも、『孤独』を積極的に肯定してきた偉大な人物は、数多くいる。
たとえば、かの有名なアインシュタインは15歳の時、医者から、「神経衰弱のため、最低6ヶ月静養を要する」と診断を受けてしまう。
これは問題児、少年アイシュタインに対する、いわゆる厄介払いであった。
しかしアインシュタインは、この静養中に初めて、光線を封じ込めたらどうなるかという、光の誘導放出理論を考え始めた。
のちに彼は、当時のことを振り返りながら、その著書の中で、
「好奇心は、何よりも、自由を必要としている」
という言葉を残している。
孤独とは自分と世界とをいったん切り離す営み
「孤独は人間の成長に必要不可欠」と言っても、「人間の成長」という部分が抽象的なため、いまいちピンとこない人もいるだろう。
「人間の成長」とは、大まかに言えば、以下のようなものだ。
① 意思の抑制
② 心を律すること
③ 自己の真にあるべき場所を心の奥深くから(霊的に)理解すること
子供だから、①と②が必要なのではない。
大人だけが、③を必要とするのではない。
肉体年齢に関係なく、“精神”の成長は、どの段階の人間にも必要なものである。
したがって、「人間の成長」をそのまま「精神の成長」と言い換えてもいいだろう。
肉体とは、言わば、“箱”だ。
そして、その〈中〉にあるのが精神で、〈外〉にあるのが世界だ。
よって精神の存在は、〈中〉と〈外〉があるからこそ、立証できる。
これを踏まえて改めて述べると、「人間の成長(精神の成長)」は、〈自分の外にある世界〉と〈自分の心の内にある世界〉とを一つに統合することによって実現する。
……だからこそ、人間が成長するには、『自分を世界とをいったん切り離す営み』が必要なのだ。
『自分と世界とをいったん切り離す営み』とは、もちろん『孤独』のことだ。
望まない孤独でも、それは将来のためにある
とは言え、「今の自分の孤独は、自分で望んだものではないからなぁ……」と、少々複雑な気持ちになる人もいるかも知れない。
確かに、自分の意志で選べるのが孤独であっても、大して望んでいないのにかかわらず、孤独な状態になっているという人も少なくないはずだ。
そういった人たちに向けて、最後に少し、希望の持てる考え方を紹介したい。
私は、
と考えている。
もし今、あなたが望まない孤独の中にいるとしたら、それは、これからあなたが出会う人のために、自分を高めておく準備期間とも言えるだろう。
ただ孤独を怖がり、嫌悪していては、何も得るものがない。
これから先、あなたと出会い、あなたと心が通じ合う人が、必ず出てくるはず。
その人とは、“同じような人生背景”を持っているからこそ、通じ合えるし、惹かれ合えるのだ。
言うなれば、いざ実際に出会った時に、2人の歯車がきちっと噛み合うのは、今、あなたがそうして孤独の中で過ごしているからこそ!なのだ。
だから、望もうと望まずとも、今、孤独と呼べる環境に身を置けているなら、むしろどこかでそれに感謝しながら、自らを高めておこう。
たとえば、興味のある本を読んだり、興味のある新しいことを始めてみたり、好きな分野の映画をとことん観てみたり、興味のあることを独自に“研究”し始めてみるのだっていいだろう。
(“研究”とは遊びである。つらい勉強のように思われているが、そもそも勉強も遊びも、ただ条件が違うだけで、何かに熱中して取り組むという意味においては本質的に同じである。)
そんなふうに、『1人でしかできない、自分が本当に好きなこと』を探して、徹底的にやってみよう。
それがきっと、あなたの今の『孤独』をより意味のあるものにしてくれるはずだ。