「あわてる乞食は、もらいが少ない」なんて言いますが、これは、お金とか物資の話。
自分の欲しいものに対して、ガツガツしていると、得られるものが、かえって少なりますよ、という意味です。
でも、実はこれ、“愛情”においても、同じことが言えるんです。
というわけで、ここでは、
愛に飢えているガツガツした女ほど愛を得られない理由
について解説します。
男はなぜガツガツした女を避けるのか?
ちょっとショッキングな事実からお教えしましょう。
- 両親からかわいがられ、大切にされて育った人
- ほとんど愛された経験のないまま育った人
など、幼児期にどんな愛情を経験したかは千差万別ですが、当然、後者のほうが、大人になった時に、愛に対して飢餓感を抱くようになるわけです。
しかしながら皮肉なことに、(後者のような)愛に飢えているガツガツしている人ほど、最も愛を必要としているはずなのに、その人たちこそ、最も愛に恵まれません。
なぜなら、男性から見るとそのような女性からは、
という悲痛な叫び声しか伝わってこないからです。
男性は、それを目の当たりにすると、何か、暗くて深い、底無しの穴を見たような気がして、怖じ気づいてしまいます。
そして、逆に、
と直感するのです。
男性というものは皆、けっして口には出しませんが、恋人や妻に対して、必ず心のどこかで、自分が幼い頃母親から受けたのと同じような優しさや、温かさや、細やかな気配りを期待しています。
ですから、大多数の男性にとって、付き合う相手がこうした母性的な要素を持っているかどうかは重大な関心事なのです。
もし、それがなさそうに感じた場合は、
と思い、その相手からは手を引こうと判断するのです。
もう少し、違う言葉で分かりやすく言えば、
といった感じです。
男はガツガツした女をこうして見抜く!
では、男性は、「愛に飢えている女性」をどうやって見抜いているのでしょうか?
この点に関して、男性は非常に敏感です。
女性が、まだ付き合い始めるか始めないかのうちに、あまりに性急に愛情を表現し始めたり、「あなたのことが好き」と言いながら、暗に、「あなたもそうでしょ?」と、愛情を半ば“押し売り”のごとく強く求めてきたりすると、男性のレーダーは、ピッピッと警告を発し始めます。
愛に飢えた女性は、まだ2人の関係が十分に確立していないうちから、相手からも激しい愛を与えられることを要求します。
なぜなら、彼女たちは、愛というものは、自然の成り行きに任せておけば、やがて花開くものだということを、信じていないのです。
そのように、自分の愛への飢えに気づいていない女性は、相手の男性に突然、背を向けられると、その理由が分からなくて、オロオロしてしまします。
とか、
と、いくら考えても分かりません。
でも、分からないのは当然です。
そんな女性の、恵まれなかった昔の愛情体験は、すでに“潜在意識”として形成されていて、本人はほとんど自覚していないのです。
ちなみに、男性の中には、『女性から頼られ、求められると俄然張り切ってしまうタイプ』も、いるにはいます。
それは、他人から必要とされることで、何か自分が一回り大きくなったような気がするからです。
しかし、このタイプの男性の機嫌がいいのは、“救いの騎士”を演じていられる間だけです。
そして、その裏の顔には、たいてい、何でも自分の思い通りにならないと気が済まない“暴君”の顔が隠れているので、十分に注意してください。
もうガツガツしない!そのためには?
愛に飢えている女性は、無意識のうちに、
というパニックにも近い感情を持っています。
それがどんなに隠しても表にあらわれてきて、相手の男性を怖じ気づかせてしまいます。
男性に去られると、さらにまた、激しく愛を求めるようになるでしょう。
するとまた、次に出会う男性も逃げ腰になります。
このような“負のループ”を脱出するためには、どうしたらよいのでしょうか?
ただ、「これからは男性に対してガツガツするのはやめましょう」と言っても、おさまるものではないでしょう。
実のところ、愛に対して悲壮感を抱くのは、自分の値打ちに自信が持てず、悲観的になってしまっている証拠です。
ですから、唯一の解決策は、
自分の価値を信じ、自分自身を、愛されるに値する人間としてみるよう努力すること
です。
愛に飢えている女性は、自分の値打ちを他人の価値観に頼って測ろうとしているので、いつも、
と考えています。
しかし、男性の存在は、何の解決にもなりません。
それどころか、こんな考え方で行動している限り、男性たちは皆、あなたから逃げていくだけです。
自分の人間としての値打ちや、生きていく上での満足感は、誰の力でもない、「あなた自身の力」で獲得していかなければなりません。
あなたが、精神的に「自立」し、「自分を好きでいる」ということが、パートナーとの間に永続的な実り多い関係を築くための、第一歩なのです。